2009年7月20日月曜日
象 Elephant
大理石 18×18×18
象は平面の写真でしかお見せできないのが残念である。見る角度によってまったくちがうかたちに見える作品である。
さて、人間は自分が生まれ育った場所から離れたくない人間と、そこから離れて移動するのが好きな人間とおおよそ2種類に分けられると思う。
それで当然と言うか久保極は後者で旅が大好きな男だ。日本から一歩外へ出たとたん生き生きとして別人のようになる。地図さえあれば言葉や文化の違いにはものともせずに、どこの国でも実に楽しそうである。
今は中国のウルムチからカザフスタンへ抜けて旅したいようである。見た目もそうだがどうもこのあたりに久保極のルールがあるようだ。前世はあちこちの国へ高い技術を買われて移動する石職人だったのかもしれない。そう思うと他にはない作品の幾何学のかたちにも納得してしまう。
2009年5月28日木曜日
エジプト Egyp
トラバーチン 17×15×13
エジプトは四角と三角の組み合わせである。このように幾何学のかたちなら無限に組み合わせがあるようだ。あとは石でこのかたちが作れるか作れないかだけだと思う。
古今東西で名画をひとつだけ選ぶとしたら、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」だと思う。これは私だけでなくて大多数の意見だと思うがいかがだろうか。「モナリザ」は圧倒的な存在感で他を圧倒する。それでルーブル美術館はこの「モナリザ」があるだけでずっとやっていけるであろう。
そのレオナルド・ダヴィンチを描いた「ダ・ヴィンチ物語」メレシコフスキー著を読んだ。
興味深かったのは、王侯貴族に仕えてダ・ヴィンチが裕福かと思いきや、制作に情熱をかけるあまり、常に生活に困窮していたことである。うわーうちと同じだーと思わず喜んでしまった。
「ダ・ヴィンチ物語」は多数のダ・ヴィンチのデッサンが挿入されている。そのうまさ、正確さに思わずうならされる。文句なしにこの人は天才だったのだな。そして自分の限界ぎりぎりまで常に挑戦し続ける真の芸術家だったのだなとつくづく思う。
我が家ではそのダ・ヴィンチの出身地ーヴィンチ村の赤ワインがハウスワインだ。どうしてかというと安くて美味しいから。その安い赤ワインを飲みながらそのうちにルーブルにも行ってみたいなとぼんやり思う。
2009年3月9日月曜日
無風 No Wind
大理石 18×18×18
無風とは今の日本の状態のようだ。嵐の前の静けさかな。そのうち激震になると思うのだが。
丸いかたちが愛くるしい大理石の作品である。
さて、この前のサンローランのオークションは総額465億円で個人のコレクションとしては過去最高だったそうだ。個人的にはサンローランのデザインしたものには興味を覚えないが、コレクターとしては慧眼の持ち主だったようである。マティスとかピカソはいうに及ばないが、アングルとかもあったそうでなかなかの趣味である。
中国の十二支の兎とネズミのブロンズ象は落札者の中国人が落札分を払わないと言っているようだが、裏ではフランスと中国側で話し合いがついているのではないかと思われる。そして十二支は12揃ってこそ意味がある。バラバラになっていてもいずれまた一二体揃うのである。そういう風に『出来て』いるのだと思う。
しかし、株のような紙切れでなくて『ほんもの』は価値が揺るがないなと感心。
2009年2月23日月曜日
巴3 Vortex3
大理石 13・5×13・5×12
抽象彫刻と言葉はブログにしました。これからもよろしくお願いいたします。
久保極は昨年1年でだいたい15ほど作品を作っている。毎年それぐらいのペースで作っていると思う。作品のUPが遅れているのは、ただサイト制作者がさぼっているだけのことである。
作品のアイディアには困ることはあまりないようだ。ひとつの作品を作るとそれを発展させて次の作品に持っていく。それが出来るのも彼が作るのが幾何学の形で無限の組み合わせがあるからだと思う。そして作品を作っていかないと自分のなかで『かたち』が発酵していくようだ。まあこれは想像だが。発酵しすぎて違うものに変身する前に彼の想念はいつも石の抽象彫刻というかたちになっているように思う。
なんらかのかたちで人間は自分を表現していかないと溢れた自己は逆に自分を押しつぶすのではないか。私は病気でさえ人が他の人間に認めてもらうための自己表現の一種ではないかと思っている。そして自己表現という手段を持たない人たちが始めるのが戦争ではないかと、終わることがないガザの攻撃を見ながらふと思う。
登録:
投稿 (Atom)