分割された球 万成石 46×46×46× |
久保極は滅多に石は磨かない。それと石で黒御影は使わない。
理由は、あえて書かないでおく。
さて、この前、チェット・ベイカーの
「ブルーに生まれついて」
をDVDで見た。
ジャズのトランペッター&、シンガーとして絶頂を極めていたチェット・ベイカーは、ある時、麻薬の売人に殴られ、歯を折られてしまいトランペッターとして致命的な傷を受け、トランペットが吹けなくなる。当然仕事はなくなり、困窮し、ガソリンスタンドで働いたりしながら、血がにじむような思いをして、トランペットの練習を重ね、またトランペットが吹けるようになる。
そのトランペットを吹く姿を眺めながら、彼のマネージャーが
「技術の衰えが、かえって味になっている」
と言うシーン。とても印象的だった。
誰でも、絶頂期というものがあって、体力、気力とも最高の時に一番いいものが作れる。でも下り坂になってからも、頂点を極めるまでやり抜いたアーティストには、その衰えや老いが逆に魅力になるのだ。
私は、若い時のチェットの歌もトランペットも好きだが、最後にボロボロになってからの歌とトランペットはもっと心に染み入る。
経験は最後にその人を助けてくれるものなんだな。
そしてたくさん積んだ経験がその人が作るものに深みと重みを出してくれるのである。