2010年6月20日日曜日

番外編 石臼

万成石の石臼















                     万成石

これは石臼である。そうあの餅つき用の。
さすらいの店主に頼まれ作成したもの。で彫刻ではないので番外編です。

5月にこの完成した石臼でみんなで餅つきをして食べた。
さすがにつきたての餅はめちゃおいしかった。
餅つきの様子は
さすらいのブログでどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/sasurai12l/archives/1100974.html
今回はめずらしく久保極は制作過程を写真に撮っています。
こちらも動画にして見れるようにしていただきました。
http://cmizer.com/movie/99600

さて、彫刻家が誰でもこんなにきちんとした形の石臼が作れるかという
とそうではないと思う。

ちなみに石臼をのせる木の台も久保極作です。
木なので結構こちらが苦労したようです。

2010年4月12日月曜日

Guide post 岐路

万成石の抽象彫刻 Guide post 岐路
















            万成石 40×33×46

ずっと久保極の作品のUPがなかったがこれは単にサイト制作者が怠慢なだけである。作品は定期的に1ヶ月に1~2点のペースで出来ている。

岐路は久保極が今ちょうど人生の分岐点に立っていると思われるのでUPしてみた。
それで分岐点だからだかわからないがやたらモノが壊れる。どれも大体15年から20年近く使っていたものだから当然といえば当然なのだが。

この前はラジカセが壊れた。ほぼ20年ぐらい使っていたから寿命だろう。でもラジオは朝、台所で食事をするのでイタリア語と中国語のラジオ講座を聞くために必要なんである(ステレオは居間にある)。仕方がないので買う。ラジオは安かったけれど、壊れたもので久保極の登山靴。これも崩壊したが、これは買い換えるには高くついた。高くても結局歩きやすさで登山靴はイタリアのSIRIOのものになった。

あと車がいつ壊れてもおかしくない。20年も乗っている日産のヴァネット。いまやアンティークカーの風格である。

この車が壊れるときに、久保極がイタリアで作ったねじれた大理石の彫刻が世界に出せるときなのだろうか。それまでは作品は封印されて倉庫に眠っている。

2009年10月13日火曜日

三巴 Triangular Struggle

万成石の抽象彫刻 三巴 Triangular Struggle















万成石 サイズはあとからUPします。

三巴もひとつの石から彫りぬいたもの。久保極だけのテクニックのなせるわざである。

以前、神戸へ行ったときのこと、北野のグロッサリーズで買い物をして、外に出て向かいにあるモスクを興味深げに見ていると、グロッサリーズのおじさんが
「どうぞ中へ入ってみてください」
と言ってくれた。それで恐る恐る中へ入ってみた。中に入ると誰もいなくて靴を脱いで上がるようになっている。どうしようかなあと思いながらふとのぞいて見るとアラブ風の白いカフタンを着たお兄さんがなにか整理をしていた。それで
「上がってみてもいいですか」
とたずねると
「どうぞ」
と言われたので靴を脱いで上がってみることにした。

靴を脱いで上がるとお兄さんが私に向かって上を指差した。久保極が
「あんたは二階や」
と言う。そうか私は一応女性なので二階からでないとだめなんだ。なるほど。
二階に上がってみる。とてもしっかりしたつくりの建物だ。下には真紅の絨毯がひかれている。ひざまずいて礼拝するんだもんね。あちこち幾何学の模様がいっぱいでそうなんだ久保極のルーツはここなんだなとつくづく思った。

その日は私は白い長袖のブラウスを着ていた。暑い日だったけどよかった、ノースリーブとかでなくて。

イスラム圏にはとても興味がある。アラブの音楽は大好き。女性の権利がないとか言うけれど、多分それでイスラム圏では男と女は『タイ』なんじゃないかな。私達は西洋文明にゆがめられた姿でイスラムを見ていると思う。いつかぜひアラブ諸国を旅してみたい。

外に出るときお兄さんが見送ってくれる。
「ありがとうございました」
とお礼を言うと
「マアッ・サラーマ」
とお兄さんが礼儀正しく答える。
家に一冊アラビア語の本があった。ありがとうございますでなくてシュクランと言ったらよかった。

アラブ諸国ではきっと久保極の幾何学のかたちは歓迎されるに違いない。そう思いながらモスクを後にした。

2009年10月3日土曜日

翁 Okina

大理石の抽象彫刻 翁 Okina













            大理石 21×19×9

お月見だからというわけではないが翁と言う作品名になった。きれいな曲線の大理石の作品である。

この前リスボンから久保極あてにメールが来ていた。なんでも久保極のスタジオで2~3ヶ月研修させて欲しいとのことであった。美術学校の学生のようである。久保極の石の彫刻に興味を持って技術を学びたかったのだろう。

翻訳ツールを使って久保極の代わりに英文の返信メールを書いた。残念ながらあなたのご希望にはそうことができません。なぜなら自分自身のスタジオというものを持っていないからです。

また彼からメールが着いた。それなら私を日本で受け入れてくれる芸術関係の機関を紹介していただけないでしょうか。

返事をまた書く。どこにも所属せずに芸術界では単独で活動しているのでそういうところは知りませんし、つながりもありません。ご希望にそえなくてすみません。

友達にそのことを知らせると、あれだけの作品を作っているのだから、海外から見ればスタジオも持っていてお弟子さんも数人いると思うよ。海外の学校では外で研修したりするからね。ということだった。

自分のスタジオー工房を持つことは久保極の夢のひとつである。そして自分の持っている石の技術を若い意欲のある人たちに教えるのも。

スタジオが(出来ればイタリアに)持てて各国からの研修生が来たらさぞかし楽しいだろうな。各国語が飛び交ってとてもにぎやかになるだろう。まあいつかそのうちね。

2009年8月15日土曜日

蝸牛 Snail

トラバーチンの抽象彫刻 蝸牛 Snail












          トラバーチン 13×13×23

蝸牛はトラバーチンの作品。見ているとくるくると引き込まれそうである。

芸術家とは因果な職業で生活のことを考えて優先させると、創作活動は出来なくなる。
売り込むことに懸命になるとアイディアは枯れてしまう。
よく作家で同じパターンのものばかり作る人がいるが、売れることを優先させてしまったあまり、いざ売れ出すともうアイディアは枯渇していて同じパターンのものの焼き直しになってしまったのだろう。残念なことだが。

10代から20代にかけてのイタリア時代に良いものに触れて充分エネルギーを充電できた久保極は、作品のアイデアには困ることがないようだ。イタリアが彼を支えて作品を作る活力をいまだに与え続けているようである。

2009年7月20日月曜日

象 Elephant


大理石の抽象彫刻 象 Elephant

                     大理石 18×18×18

象は平面の写真でしかお見せできないのが残念である。見る角度によってまったくちがうかたちに見える作品である。

さて、人間は自分が生まれ育った場所から離れたくない人間と、そこから離れて移動するのが好きな人間とおおよそ2種類に分けられると思う。

それで当然と言うか久保極は後者で旅が大好きな男だ。日本から一歩外へ出たとたん生き生きとして別人のようになる。地図さえあれば言葉や文化の違いにはものともせずに、どこの国でも実に楽しそうである。

今は中国のウルムチからカザフスタンへ抜けて旅したいようである。見た目もそうだがどうもこのあたりに久保極のルールがあるようだ。前世はあちこちの国へ高い技術を買われて移動する石職人だったのかもしれない。そう思うと他にはない作品の幾何学のかたちにも納得してしまう。

2009年5月28日木曜日

エジプト Egyp

トラバーチンの抽象彫刻 エジプト Egyp













              トラバーチン 17×15×13

エジプトは四角と三角の組み合わせである。このように幾何学のかたちなら無限に組み合わせがあるようだ。あとは石でこのかたちが作れるか作れないかだけだと思う。

古今東西で名画をひとつだけ選ぶとしたら、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」だと思う。これは私だけでなくて大多数の意見だと思うがいかがだろうか。「モナリザ」は圧倒的な存在感で他を圧倒する。それでルーブル美術館はこの「モナリザ」があるだけでずっとやっていけるであろう。

そのレオナルド・ダヴィンチを描いた「ダ・ヴィンチ物語」メレシコフスキー著を読んだ。
興味深かったのは、王侯貴族に仕えてダ・ヴィンチが裕福かと思いきや、制作に情熱をかけるあまり、常に生活に困窮していたことである。うわーうちと同じだーと思わず喜んでしまった。

「ダ・ヴィンチ物語」は多数のダ・ヴィンチのデッサンが挿入されている。そのうまさ、正確さに思わずうならされる。文句なしにこの人は天才だったのだな。そして自分の限界ぎりぎりまで常に挑戦し続ける真の芸術家だったのだなとつくづく思う。

我が家ではそのダ・ヴィンチの出身地ーヴィンチ村の赤ワインがハウスワインだ。どうしてかというと安くて美味しいから。その安い赤ワインを飲みながらそのうちにルーブルにも行ってみたいなとぼんやり思う。